草の根日記

主な関心事は仏教/自然/生命/瞑想です。一人言のように気楽に書いていきます。今この瞬間を見つめられますように。

2021/4/6

1:35

私は仕事の仕方で何かを間違えていたかも。焦りがあった。今目の前のことではなく、先のことを考えていた。それが余計だったかも。

https://j-theravada.net/dhamma/chienotobira/tobira021/

「私たちは、なぜ焦るのでしょうか? 先のことをアレコレ考えるからです。現在に集中すると、焦りません。現実を見て、順番でものごとを見る人は焦らないのです。」

ここ、ポイントだな。

 

1:51

認識する過程で起こる「現実をねじ曲げる癖」を治さないといけないな。それが苦しみの原因なんだろうな。自己の都合の良いように、自分にとって都合の悪いものは無かったことにする癖は過去からついてしまった習慣だからそれを治すのにかなり時間を要する。この歪み、病気を克服していこう。しかし、なかなか現実をありのままには観れない、ありのままには受け入れられない。恐怖感という煩悩が「苦」という真理を恐れているように感じる。

つまり、「一切の現象は自分の思いどおりにはならないこと」を心から認めていけるようになる必要がある。

一切の現象は自分の思いどおりにはならないからこそ、苦であり、無常であり、無我であるということでしょうね。

つまり、空なるものだから自我の入る余地はないだろうし、それを変えようとしたり動かそうとしたりすることは不可能でしょうね。ただ、自分の思いどおりにはならないことを理解して、それを会得して、心から納得するならば、その人は、つまりはありのままに事実を観れるというわけだから因果関係を知っていると言うことになる。だから、その因果関係を学んでそのように真似て実行すればある程度それに近い状態に仕上げることが出来る。しかし、それも思いどおりにした(なった)のではなく、因果法則に基づいて仕上げていっただけのこと。

 

3:09

無常であり、無我であり、苦である現象は自分の思いどおりにはなりません。何故ならば、自分の思いどおりになるということは、なにもしなくても自然と無常なるものを常なるものとして、無我なるものを自我なる(実体のある)ものとして、苦なるものを楽(充実)としなければなりません。

ただ、真理や法の上では思いどおりにはなります。無常という真理の上では無常だからこそ思いどおりにはなります。苦という真理の上では苦だからこそ思いどおりにはなります。無我という真理の上では無我だからこそ思いどおりにはなります。

つまり、自分の思いどおりにはならない(苦)ので、無我(自分の力ではどうすることも出来ないので因果法則に従って生きるしかないの)であり、無常(常に変化している)故にその因果法則に従って"変える"ことは出来ます。

なので、私たちに出来ることはせいぜい、因果関係を理解し、その法則に沿って変えることだけです。変えるという行為には因果法則に基づいて(従って)いるだけなのでそこに自我や魂などと言った見解は成り立ちません。

もし、仮に"変える"という行為を怠るとそこには常に苦が支配していますからただ苦しみに陥るだけとなります。

楽=常=自我(実体がある、魂)は因果法則、真理の上では成り立たないので邪見です。ただただ、苦しみに陥ってしまうだけです。苦のエネルギーが強くなるだけです。もし仮に思いどおりになったのであれば、それは因果法則に従ったまでのことです。その因果法則さえも無我故に成り立つものですから真理としては自我(魂)は成り立たないということになります。故に自分の思いどおりにはなっていません。

 

3:29

事実は真理の上で成り立つものですから因果法則に従って生じたり滅したりします。ということは私たちはこの因果法則に従って生きているということになります。ということは、私も身体も心も因果法則によって生じては滅しているのであるから自我(魂)は成り立たないのです。つまり、俗的に言えば因果法則こそがその本体と言えるのではないでしょうか?

 

11:21

ああ、俗世間は恐ろしいな。悪行為をつい行ってしまうような誘惑に溢れているような気がする。気をつけてこの荒波を乗り越えなくてはならない。

どの方向を探しても自分よりも愛しいものはどこにも見いだせない。そうであるならば自分のために他人を害してはならない、全ての生命は暴力に怯え、生命が愛しいゆえに殺しても殺さしめてもならない。

この戒めを護ろう。護っていきたい。

 

20:47

ああ、私は成長できているのだろうか?

 

22:04

結局、正しい思考は慈しみの思考なんだな。それが唯一生きる権利を獲得する方法なのね。慈しみの気持ちがないと生きる権利をただ失うだけ。私たちは自分より弱い生命に対して残酷な態度を取っているから生きれていますが、とても凶暴です。だから慈悲の瞑想をしていかなければなりません。それが生きることの矛盾を解決する方法だそうです。つまり、生きる権利を得て、明るく元気よく生きる方法です。

 

23:25

何か、何らかの形で生命の役に立っていないと空しく感じるな。