原点回帰
私は原点に戻ってみようと思います。
個人的にはラベリングをせずとも(言葉に頼らずとも)ヴィパッサナーできると思っていたのですが、思考(妄想)に囚われたり、怠け・眠気・惛沈の影響が強くなっているような実感がありました。
そして、私は俗世間で過ごし、他の生命と関わっている以上、常に慈悲の念を保たなければなりません。
そこで、私は常に余計な思考(汚れた思考・妄想)が生じないように、「全ての生命が幸福でありますように」「全ての生命が安穏でありますように」と念じていきます。
また常に呼吸に注意を向けていきます。
呼吸を気付きの基準にして、随時随時、そこで育まれたサティによる観察を他の感覚などに広げていくなどして不放逸を守るように実践していきます。
2021/4/17
18:02
むしろ、怖い人ほど、嫌な人ほど、慈しみを向けるようになると、あとは好きな人でも、優しい人でも慈しみを容易く向けれるようになるのではないか?知らんけど。
2021/4/11
8:21
俺、何か間違えてるのかな。
何だろう、この苦しみは。
ゆたぼんはかなり、怒ってるね。反抗心で溢れているね。礼儀正しくはないね。うーん、そこに対して私はいったい何を感じているのだろうか。Twitterでいいねがほしいという欲があって、それが期待どおりに得られないことに不満を抱いているのか。ものすごく心の汚れを感じるね。わがままだね。うーん、いいねが来ないので何か自分間違ったことをしているのかね。正しくないことをしているのかね。分からない。
13:15
肉体に対する愛欲を離れるために「肉体は気持ち悪く、汚いです」と念じたんですけど、何か、違う。😅
心が清らかになるどころか汚れてきてる。
その言葉には怒りが含まれいるのでちょっとやめよう。(^^;
「気づきを身につけると心からは智慧が現れて三毒から離れる。
三毒から離れると結果的に慈悲の心になる。
慈悲の瞑想の心とはいちいち気づきを身につけなくても直ぐに智慧の結果である慈悲の心をものにする事ができる。
気づきや智慧がなくても直ぐに悟りの心になれてしまうのだ。」
https://twitter.com/nigo0607/status/1381159432525021186?s=19
あ、気付いているときの感覚と慈悲の感覚って似てるような気がする。😯🌿
2021/4/9
18:04
女性に対して、慈しみを育もう。男性に対しても慈しみを育もう。男女以外の性別の生命に対して慈しみを育もう。いや男女を越えて、性別を越えて、性を越えて慈しみを育もう。
2021/4/8
16:11
正直、「一切の現象は自分の思いどおりにはなりません」と念じることに自信がないけど、取りあえずやってみよう。
その結果どうなったのかを確りと理解していこう。
2021/4/7
私は勘違いしてました。一切の現象は自分の思いどおりにはなりません。
しかし、だからといってニヒリズムや努力を否定することは誤りです。それは確実に不幸になるので邪見です。
努力をしないと苦しくなるばかりです。呼吸は吸う吐くを繰り返さないと生きていけません。つまり、呼吸をするという努力によっ生きることは成り立っています。
つまり、真理の上では自分の思いどおりにはならないということです。
だから、どの生命も幸福になりたいと思っている。ならば、一切の現象は自分の思いどおりにはならないことを受け入れて努力していくべきなのです。思い通りになるのであるならば努力する必要はありません。しかし、それでは苦しみに陥ります。決して幸福にはなりません。だから、幸福になるためには努力するべきなのです。
18:16
気付いていないことに気付いてみよう。😌
19:05
私は怠け、努力ができなくなること、精進できなくなることに恐怖を感じていたんだな。
20:21
息を吐くときだけは身体の力を抜くことができる。吸うときは身体が膨らむので、力を抜くことができない。だから、生まれるときは力一杯に緊張が走るけど、死ぬときは緊張がほぐれて死んでいけるのかな。
無常・苦(空)・無我
今日から私は下記の言葉を念じることで無常・苦(空)・無我という真理に触れて、一切の現象は自分の思いどおりにはならないことを念じることにしてみます。
一切の現象は自分の思いどおりにはなりません。故に努力が成り立ちます。
何故ならば生命は幸せになりたいと思っているからです。幸福になるために生きています。
そこで、
一切の現象は自分の思いどおりにはならないと認めます。
一切の現象は自分の思いどおりにはならないと受け入れます。
一切の現象は自分の思いどおりにはならないからこそ、苦であり、無常であり、無我です。
一切の現象は空なるものであり、自我の入る余地はありません。
また空なる現象を自分の力(因果法則を無視することによって、つまり自我によって)で変えようとしたり動かそうとしたりすることはできません。
空なる現象は因果法則によって生滅変化していきます。
無常であり、無我であり、苦である現象は自分の思いどおりにはなりません。
自分の思いどおりにはならないので苦であり、自分の力ではどうすることも出来ないので因果法則に従って生きるしかないのです。故に無我です。
また一切の現象は常に生滅変化しているので無常です。それゆえに因果法則に従って"変化させる"ことは出来ます。
自分に出来ることは因果関係を理解し、その法則に沿って変化させることだけです。因果法則に基づいて(従って)変化させることはできます。そこに自我や魂などと言った見解は成り立ちません。何故ならば自分という現象も因果法則によって消滅変化しているからです。
もし、仮に"変える"という行為を怠るとそこには常に思いどおりにはならないという苦が支配していますからただ苦しみに陥るだけとなります。
事実は真理の上で成り立つものですから、因果法則に従って生じたり滅したりします。
自分はこの因果法則に従って生きていくしかありません。
私も身体も心も因果法則によって生じては滅しているのであるから自我や魂は成り立ちません。
努力によって幸福に達します。
そして、輪廻にはひとつも良いことがないと発見していきます。
生きることを乗り越えるとは、楽しむことです。つまり、真理を発見して、因果法則に従って生きることです。
元気良く、明るく過ごしていきます。
死ぬことを乗り越えるとは、安らぐことです。
つまり、真理を発見して、因果法則に従って死んでいくことです。
苦しみを堪え忍び、心から落ちつきます。
この言葉によって生きとし生けるものがそれぞれの努力によって幸福で安穏でありますように。